インターネットに文章を上げるということは
話を考える時に、やはり実体験ほど参考になるものはない。
数年前、脳に寄生する宇宙人の話を書こうかな……と思い、脳の病気を調べた。
するとお子さんが脳の病気にかかっている方のブログを見つけた。
興味本位で読み始めたのだが、母親は健康に産んであげられなかったことを悔やみながらも、とても明るく子供の面倒を見ていた。
文章も明快で、病気について文献なども付けながら詳しく説明していて、ブログとして読みやすかったので、なんと6年以上私はそのブログをこっそり読んでいた。
先日久しぶりにそのブログを開いたら、その子は亡くなってた。
私は一度もコメントしたことがないし、それこそ見ていただけだったから、どのタイミングであれ、書き込むことは出来ない。
ただただそこに書きたかったことを、書いて泣きたくて、文章を書いている。
そして私が今回感じたことは「インターネットに文章をあげるということは、あなたの思いを世界に伝えること」だと強く思った。
この母親は、私が6年間こっそりブログを見ていたことなど知らない。
体調が良くなり、退院出来て家で座ってPSPをしている写真をみて安堵していることなど知らない。
体調が悪化して入院した時に、一緒に心配して、母親が一緒に寝不足になっているのを心配していることなど知らない。
そして私がブログのリンクも張らずにここでその子の死を悲しんでいることに知らない。
でも「その子が次また生まれてくるときは、元気だといいなあ」と思っている人がここに確かにいるのだ。
不特定多数が見ている場所に文章を、思いを上げるということは、全く関係がない、かかわりがない人間にさえ、影響を与えるということだ。
なにしろブログを読み始めた理由が不純というか、興味本位すぎて、一生何も書き込めないけれど、私かお子さんのことをずっと忘れないし、運命だという数字…生まれた日と亡くなった日が同じらしい…と覚えてしまった。
一生何も言えないけど、一生覚えてるから許してほしい。
本当に冥福を祈ってる。