産むも、産まないも

 

イン・ザ・ヘブン (新潮文庫)

イン・ザ・ヘブン (新潮文庫)

 

 子供を産む意味を真剣に考えたことは何度もある。

そりゃ、好きな仕事をするために上京して、ずっと楽しんで生きてきたので、いくら好きな男と結婚したからといって、子供……? それと私の人生とどっちが大事なの? てか私に子供を育てる?? んんん???

20も後半になって結婚してないけど彼氏がいる状態の人は、一度は言われる魔の言葉「子供産むなら早い方がいいよ」うるせええええ!!!

そんなことに読んだのが

 

 「yom yom」だ。当時まだ売れる前だった100%ORANGEさんの表紙も、内容も好きで毎月買っていた。(しかしAmazon優秀すぎる。2006年の商品も載ってるんだね)

さすがにどの号か忘れたが、この中に新井素子さんが書かれた「絵里」という短編が載っていた。短編なのだが、子供を生もうか悩んでいた私にはタイムリーな話で、非常に考えさせられた。というより、新井素子が非常にこねくり回した?思考をしている話なので、いっそ冷静になれた。

「とりあえず、産むのもありかもな」

当時20後半。そして私は30歳で子供を産んだ。

子育てに追われて本を読む時間は減っていたけれど、SFの短編集だけは毎年買っていた。その中の

 

拡張幻想 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)

拡張幻想 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)

 

 これに「絵里」が載っていたのだ。

「おおおお!」当時3歳の息子を抱っこしたままスマホ画面で発見したのを今でも覚えている。

何年もの時を経て、また君に会ったか!

もう一度読んだ時 [前に読んだ時と、違う感想になった]。

「そんなこと、どうでもいいぜ」。

自分自身が変わったことにより、同じ短編を読んで感想が変わったのだ。

そんなことどうでもいい。でも、やっぱりこの本は好きだ。

そしてまた数年後。私の趣味につられて子供たちも本を読むのが好きなのだが、出かけた本屋で新井素子の新作、イン・ザ・ヘブン (新潮文庫)を見つけた

また君に会えた。

私はその本を手に取った。

娘が「ママ、表紙の絵、可愛いね」というので「そうだねえ」と私は笑った。

 

たぶん足掛け20年以上、この「絵里」という作品を読み続けている。

内容も、仕掛けも好きだけど、なにより私の人生の足元に転がっている短編だ。

子供を生もうか悩む人、そんなことどうでもいい人、産み終わった人、産む気が無い人。

ほんの少し心に引っかかる話だと思う。

 

インターネットに文章を上げるということは

話を考える時に、やはり実体験ほど参考になるものはない。

数年前、脳に寄生する宇宙人の話を書こうかな……と思い、脳の病気を調べた。

するとお子さんが脳の病気にかかっている方のブログを見つけた。

興味本位で読み始めたのだが、母親は健康に産んであげられなかったことを悔やみながらも、とても明るく子供の面倒を見ていた。

文章も明快で、病気について文献なども付けながら詳しく説明していて、ブログとして読みやすかったので、なんと6年以上私はそのブログをこっそり読んでいた。

先日久しぶりにそのブログを開いたら、その子は亡くなってた。

私は一度もコメントしたことがないし、それこそ見ていただけだったから、どのタイミングであれ、書き込むことは出来ない。

ただただそこに書きたかったことを、書いて泣きたくて、文章を書いている。

 

そして私が今回感じたことは「インターネットに文章をあげるということは、あなたの思いを世界に伝えること」だと強く思った。

 

この母親は、私が6年間こっそりブログを見ていたことなど知らない。

体調が良くなり、退院出来て家で座ってPSPをしている写真をみて安堵していることなど知らない。

体調が悪化して入院した時に、一緒に心配して、母親が一緒に寝不足になっているのを心配していることなど知らない。

そして私がブログのリンクも張らずにここでその子の死を悲しんでいることに知らない。

 

でも「その子が次また生まれてくるときは、元気だといいなあ」と思っている人がここに確かにいるのだ。

 

不特定多数が見ている場所に文章を、思いを上げるということは、全く関係がない、かかわりがない人間にさえ、影響を与えるということだ。

なにしろブログを読み始めた理由が不純というか、興味本位すぎて、一生何も書き込めないけれど、私かお子さんのことをずっと忘れないし、運命だという数字…生まれた日と亡くなった日が同じらしい…と覚えてしまった。

一生何も言えないけど、一生覚えてるから許してほしい。

本当に冥福を祈ってる。

 

 

 

14歳の恋

 

14歳の恋 1 (楽園コミックス)

14歳の恋 1 (楽園コミックス)

 

 たまに自分が好きな漫画をごり押ししたくなるので、記事にまとめていくことにする。

 

まず一本目は「14歳の恋」。

 

もう大人なので、青春漫画はちょっと……と思う人もいるかもしれないが、この漫画は14歳の恋だけがテーマではない。

この漫画の面白いところは、14歳の少年少女たちが、大人の仮面をかぶってると「思い込んで」中学生活を送っているところだ。

 

読んで見ると非常に主人公たちは心が幼い。幼いが大人っぽい外見ゆえに「大人にふりをしている」と本人たちは思っている。

しかし一話で気が付くのだ。

前よりずっと美しくなった髪の毛、自分と同じ高さにあると思っていたのに、自分より高い身長。

大人のふりをしていたと思っていたが、本当に大人になりはじめていたのだ。

私はこの一話でぐっと心を掴まれた。

タイトルだけ読むと、幼い子供たちが背伸びをして恋をする話だろうと勝手に思ってたからだ。

違う。

14歳という大人でもない、子供でもない、またその両方が存在する年齢を見事に書ききっている。

なにより絵が美しいのだ。

伸びた身長、伸ばした指先、透けた肌、髪の毛をアップにしたときの後ろの首。

繊細な絵で書かれているからこそ、許される表現が多い。

文章で書いても面白みが足りない……おんぶされた時に見えてしまう太ももなど、漫画だからこそ光る話も多い。

 

現在8巻まで出ているが、その間に出てくる音楽教師と生徒の話も非常に面白いし、バスでしか会えないお姉さんに恋する生徒など、主人公たちを取り巻く小話も魅力的だ。

 

この漫画は14歳の子が読む本ではなく、大人になった私たちが読む青春漫画だと思う。

暑苦しくもなく、説教もなく、無駄な軽さもない。

また「こんな青春を過ごしたかった…」系でもない。

自分が毎日仕事をして暮らしている中で、こんな風に恋をしている中学生がいたら素敵だな、きっと私が気が付かないだけで、このバスの中にもいるのかな……。

そんなふうに少しだけ世界に色を付けてくれる漫画だと思う。

 

電車の隣に座っている子が素敵な恋をしていますように。

だったら聞かせて? そんな気分になりたい人はぜひ読んでみてほしい。

 

 

処女の葬式

9.11は私のなかで、処女の葬式をした日だ。

高校二年生の今日、わたしの友達は初めて彼氏とセックスをして、処女を喪失した。

彼女にとって処女というものが、時限爆弾のようなもので高校卒業までに捨てないとアイデンティティが崩壊する勢いだったので、私は妙に安心した。

もう彼女は爆発しない。

安心したはずの彼女が、なぜかあまり嬉しそうではなくて、今考えると、そんなに好きでもない男に処女をささげたことに対するいらだちとか色々あったんだろうけど、高校二年生のわたしたちには、はっきりとした言葉が見当たらなくて、イトーヨーカドーのフードコートで炭酸がぬけたコーラを飲んでいた。

フードコートはすぐ横が店舗で、わたしの視界に線香が見えた。

 

「……処女喪失したし、処女の葬式でもする?」とわたしは言った。

「意味わかんないけど、線香あげとこか。どこで?」彼女はのった。

「あんたがセックスしたラブホの駐車場は?」

「危ない人なんだけど、それ」

「んーー。じゃあ、弓道場は? 今日は誰もいないよ」

「いいね」

 

弓道部員だったわたしたちは、線香を買って、弓道場の土間で焚いた。あの独自の香りと煙が生き物みたいに踊って、わたしも彼女もそれを静かにみていた。

「めっちゃ葬式のかおり」彼女がいうので

「そりゃ線香だからな」とわたしは笑った。